野辺町

椚原豊守神社

高井鴻山の幟が残されている

太く高い杉が何本も脇に立ち、その中を真っすぐ伸びた参道の先にあるのは「椚原豊守神社<クネギハラトヨモリジンジャ>」です。

明治35年4月に内務省神社局に提出された「村社無格社由緒調査書」によると「創立の年暦やその後の経過については不明」「戦火によって消失し現在地に移宮」とあります。

昔は「白山大権現<シラヤマダイゴンゲン>」と呼ばれていたのですが、文化12年に社号を「椚原豊守神社」に変えたのです。

石川、福井、岐阜の三県の県境にそびえる「白山」は、古来より霊峰として山岳信仰の対象とされてきました。
主神は白山比咩命<シラヤマヒメミコト>で、水の神、農耕の神として幅広く信仰されています。

四阿山<アズマヤサン>の山頂に白山社が奉祀されていて、野辺地域にとって四阿山から流れ出してくる鮎川の水が生活用水であり、農業用水として命の綱でしたから、「水の神、農耕の神」である白山大権現を歓請したのだと考えられます。

「椚原豊守神社」の名前については神社のある現在地(松の春)を昔「椚原荘司豊守」が治めていたと伝えられることからつけられたのだそうです。

かなり広い敷地に境内には合祀社として白山社、諏訪社、天神社、熊野社の他に秋葉大権現、伊勢宮が祀られています。
本殿の屋根にある飛び越え唐獅子の瓦は面白いですよ。

その他、椚原豊守神社には明治14年に「高井鴻山」が76歳の時に書いた幟が残されいます。

「学道遊神奥」「斂袂揖飛□」

「道を学んで神の心に添えば、周囲のすぐれた人たちもえりを正して集まってくる。」との意味なのだそうで、高井鴻山の幟に書かれた意味は相変わらず奥が深いですね。


鳥居から見る杉の茂る先に見える本殿のある景色はなんだか神秘的に感じます。



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