芝宮墨坂神社境内に祀られている「天満社」。
その正面入口に石の門柱が設置されています。
「筑浦梅華香萬世」
「清涼明月照千秋」
この文字を書いたのは亀田鵬齋の曾孫の亀田雲鵬(うんぽう)です。
江戸時代後期、漢学(儒学)・書家の亀田鵬齋(ぼうさい)が開いた亀田塾は江戸の赤坂・神田にありました。須坂藩上屋敷も赤坂にあったという繋がりから、江戸詰の多くの須坂藩士も亀田塾で学んだと考えられます。
亀田塾高弟の菊池行蔵は須坂に招かれ、藩校立成館教授となっているほか、中島淡水や北村方義、宮崎信友らは鵬齋の子、綾瀬、孫の鶯谷に学んだことが知られています。
明治35年(1902)に菅原道真没一千年祭記念として、当時の社境内を整備して門柱を立て盛大な祭事が執り行なわれました。
亀田雲鵬の作で須坂市内で有名なものが須坂市立図書館のカウンター裏の書です。
この門柱は明治41年(1908)神社統合によって天満社移動の際に現在の場所に移されました。