須坂市では、今も市のあちらこちらで古い蔵が建ち並ぶ町並みを見ることができます。
そしてこの町を象徴する風景の1つが「甍<イラカ>の波」だと感じます。
「文永4年(1821)、須坂藩に穀町組の喜惣治<キソウジ>が瓦屋開業願いを提出した」
という記録が「開業願」という資料で残されています。
そのことから須坂の家屋に瓦が敷かれ始めたのは文永4年以降らしいことがわかるのです。
しかし、当時は須坂藩の館や藩領内の一部、寺院などで商売が成り立つものであって、一般町屋に瓦が普及したのは明治時代に入ってからのようなのですよ。
立ち並ぶ民家の軒は町の繁栄を思わせる姿となります。
辻々の角にある家の軒などにそれぞれ異なっている瓦を飾ることに、住む人々の願い・祈りが込められているのです。
その気持ちが大きく現われる瓦が「飾瓦<ショクカワラ>」と呼ばれる瓦なのです。
棟隅飾瓦<ミネスミショクガワラ>は通称「鬼瓦」と呼ばれ、厄除けの願いが込められた、その名の通り鬼の面などの彫刻が多いです。
中央に「水」の文字が彫られ、空に浮かぶ雲(家運上昇)とそこから落ちる滝(滝で火災から守る)が描かれものもあります。
雨水の侵入防止の為に隅棟の 尻部分を覆う「隅留蓋瓦<スミトメブタカワラ>」の装飾にも縁起の良い装飾や商売繁盛の装飾を見ることができます。
先に書いた、須坂で初めて開業したと思われる「穀町組の喜惣治」が始めた瓦屋が現在「森山製瓦所」として北原町にて現在も営業をしています。
会社の前には無造作とも思えるように瓦が並べられています。
中には「丸二」の家紋が入った桟軒瓦<サンノキカワラ>も。
須坂の瓦の装飾に多大な影響を残した「神谷喜三郎」を三河より須坂に招き入れ、指導を受けたもの「森山氏」なのですよ。その後代々瓦業を営んでいるのです。
残念ながら現在は特注の瓦の製造は行っていないのだそうです。
しかし、「勝善寺の屋根改修の際に、70枚からなる大鬼瓦の修理はうちがやったんだ」とおっしゃっていた目に代々受け継がれてきた瓦職人の熱い思いを感じることができたのでした。