仁礼町

仁礼宿

大笹街道への玄関口

長野県須坂市福島を起点とし、群馬県吾妻郡の大笹宿まで続く「大笹街道」は、江戸時代には油や木綿を運ぶ道として、明治に入り「シルクロード」として多くの人が行き来した道でした。

善光寺平と江戸を結ぶ「大笹街道」は本道の「北国街道」よりも日数や経費が少なくて済むという利点があったようで、主に商いの荷物を運ぶことの多い「商人の道」だったようです。

須坂市には大笹街道の宿場町として「福島宿」と「仁礼宿」がありました。

仁礼宿には「上・下問屋」「新問屋」の三つの問屋があって、仁礼宿に運ばれた荷物は一旦問屋に下ろされ、次の日に宿の馬に積み換えられ街道を進む仕組みだったようです。
別名「中場稼ぎの道」とも呼ばれたのはそういった理由からですね。

仁礼宿からの山道は険しく、冬季の遭難や事故が多かったそうです。街道沿いには旅の途中で倒れた人や馬をたむけた石塔や石仏が今も多く残っています。

歴史をさかのぼると、南北朝時代には大笹街道は軍事的要素の強い街道だったようで、その後商人に多く使われるようになったのです。

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