御林跡の開墾

長野県須坂市塩野地区に「御林跡<オハヤシアト>」という字名があります。
この地区で驚かされことは、立派な石垣の上に広がる、階段状の田園です。


江戸時代、この辺りには松林が茂った「御林」と呼ばれる幕府の領土でした。
幕府領のために、一般人の出入りは許されません。
しかし、この林は強風が吹き込むことによって、松葉が舞うことと同時に、鹿猿猪が出没し作物を荒らすために、近隣住民にとっては困った林だったのです。

幕府との長年の交渉の末、ようやく開墾の許可が降りたまではよかったのですが、もともとは松林。石がゴロゴロとした土地柄で開墾がなかなか進みませんでした。

ゴロゴロと転がった石は、傾斜のついた土地を平らにするための石垣として使い、細かい石は田の面に平らに敷き詰めました。
その上に、数百メートル離れた山より運んだ土を均等に敷くのです。

ここ一帯をこのように開墾を進めるには、本当に塩野地区住民の血と汗の戦いがあったのでした。

現在その場所には、新田開墾の記念碑として「水神」が祀られています。

何気なく通り過ぎてしまう田園。
しかし、この田園開墾の経緯を調べると、この田園が
「塩野の文化財産」
といわれる由縁がわかるのです。






御林跡の開墾


名前:御林跡の開墾
取材日:2007/03/21
更新日:2021/01/14

参考文献

塩野町区誌<塩野区誌編集委員会>
仁礼の里史跡マップ<仁礼地域づくり推進委員会>

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