本上町勝善寺境内

翁塚「蓑虫塚」

松尾芭蕉は江戸時代に「幽玄<ユウゲン>」「閑寂<カンジャク>「余情<ヨジョウ>」を重んじる薫風俳諧<クンプウハイカイ>を確立した人物です。

俳諧を学ぶ者の中には松尾芭蕉を敬う者が多く、彼らによって全国各地に「翁塚」と呼ばれる「松尾芭蕉の句碑」が建立されました。
今回紹介する碑は、長野県須坂市に8つある「翁塚<オキナツカ>」の一つです。


芭蕉の句碑は長野県内外に多く建立されていますが、その意図は、
1、記念碑
・芭蕉の五十、百、百五十、二百年忌等を記念して
・芭蕉が来た記念として
・明治時代以降の天皇即位記念
2、それぞれの地域や風光や土地柄に似合った碑
3、諏訪社の分社には、御射山<ミサヤマ>祭りによんだ句を捧げた碑
4、社中、連中、個人が愛吟した碑
が挙げられます。
また、それぞれ碑に刻まれた句の内容から、塚名がつけられているのです。





今回紹介する「勝善寺の蓑虫塚<ミノムシツカ>」は
貞享<ジョウキョウ>2年(1685)に作られた句の碑。


「三<ミ>の虫の 音<ネ>に聞きに来よ 艸<クサ>の庵<イオ>」


三の虫(蓑虫)は、実際には鳴きません。
しかし、昔は秋風が吹くと鳴くと伝えられてきました。
そのことから、この句は

「秋風が吹いたなら、私の草庵<ソウアン>に来て、あわれな蓑虫の声を聞いて、閑寂<カンジャク>を共に味わおうではないか」
という意味です。


この碑は須高地域では最古の翁碑だそうで、
芭蕉100回忌の寛政5年(1793)に、須高地域の俳人「蓑虫庵露蝶<ミノムシアンロチョウ>」によって建立されたと伝えられています。
(「蓑虫庵露蝶」に本名は牧七郎右衛門)

この碑は、江戸時代、嘉永6年(1853)に須坂藩家老「丸山辰政」によって、須坂藩地区の奇事、異聞、口碑、伝説などを収録した
「三峯紀聞<サンポウキブン>」にも登場しています。

建立者の「蓑虫庵露蝶」は、芭蕉に憧れ、この俳句を元にその名をよんだのでしょう。
そして「翁塚」も建立までしています。
そんなことからも、昔の人々の学問や文化への探究心を感じるのです。







翁塚「蓑虫塚」

住所:本上町勝善寺境内
名前:翁塚「蓑虫塚」
取材日:2007/01/26
更新日:2021/01/14

参考文献

須坂の文学碑と双体道祖神<田幸喜久夫著>
三峯紀聞現代語訳<徳永哲夫  須坂新聞社>
信濃芭蕉句碑めぐり<北信・東信編>小川康路編著 

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