鬼瓦

須坂市街地とは決していえない市内某所にとても立派な「鬼瓦」を飾った蔵をみつけました。

明治時代以降、製糸業によって発展してきた須坂市は、「中町の辻」を中心に製糸工場や繭蔵が点在し、現在も多くの蔵や蔵作りの家屋を市街地で見ることができます。

それら蔵や蔵作りの家屋の屋根に飾られた「鬼瓦」には神様、文字などのまじない的要素のものや屋号、花などの飾りを模ったものが多いのです。それらは経済的発展や余裕の象徴でもあるのです。

では、どうして製糸業が盛んだった市街地ではなく、郊外にも今回のような立派な蔵があるのでしょうか?

須坂の製糸業の大きな特徴はそこにあるのです。
製糸業が栄えた当時、長野県内で須坂市以外にも製糸業よって発展した町はありました。
それらの町に比べてみると須坂は
「製糸業の須坂町」
「養蚕業、養種業の周辺集落」
という一大経済圏が成立した場所だったのです。
いわば「原料繭」「労働力」は近隣の村々に支えられていたのです。

ですから、須坂市街地の経済的発展は同時に周辺の村々の発展でもありました。

製糸業によって須坂町の経済が豊かになると周辺集落も豊かになり、その中でも問屋や商店を営んでいる家は立派な蔵を持ち、贅沢な家屋を建てたのです。



写真の鬼瓦は「大黒天」と「恵比寿神」という「金運良好と商売繁盛の共演」できっと商売を行っていたお宅だろうと推測できます。
菊の飾りもかなり凝ったものですね。

しかし、これだけ立派な鬼瓦を作れる職人が須坂にいたのですね。
是非ともそういった職人についても調べてみたくなりました。

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