小山町

大宜都比売神

長野県須坂市は明治初期から昭和初期まで「生糸の町」「製糸業の町」として発展しました。
一時は工場が100、そこで働く工女も6200人をも数えたのです。

しかし昭和4年の世界恐慌の影響を大きく受けた須坂の製糸業はその後衰退していってしまうのです。


養蚕業の不況が続き、須坂の製糸業が衰退を始めた昭和9年に建立された石碑が「臥竜公園」の傍に残されています。

石碑には「大宜都比売神<オオゲツヒメノカミ>」と彫られています。

「大宜都比売神」とは、古事記において養蚕の起源として書かれている神で、スサノオの怒りに触れ、切り殺されてしまった「大宜都比売神」の頭から蚕が生まれたと記されています。

養蚕の起源である「大宜都比売神」は養蚕の神として全国各地で祀られるようになりました。


昭和6年に製糸業からの失業者を救うために臥竜公園の建設が始まるのですが、昭和9年に建立されたこの石碑には「もう一度製糸業の隆盛を戻したい」という労働者の気持ちが込められています。
それと同時に今には無い、「神様を敬う信仰心の高さ」を感じることができるのです。

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