現在、長野県須坂市本郷にある馬陰山<マカゲサン>蓮生寺<レンショウジ>は、嘉吉<カキツ>元年(1441)、一説によると暦応<レキオウ>年間(1338-42)に、高山村赤和の馬陰山のふもとに建立されたといわれています。
蓮生寺は、真言宗豊山派<ブザンハ>に所属する寺院で、現在の場所に移ったのは、享保<キョウホウ>15年(1730)とされています。
蓮生寺の裏手には天狗岳がそびえています。
中世、この場所には、日滝地区を納めていた須田氏の館があり、天狗岳には大岩城がありました。
須田氏といえば有名な武将の一人として、「須田満親<スダミツチカ>」がいます。
満親は戦国時代に、武田勢の侵攻にあい越後へ逃れましたが、上杉景勝の重臣となり、その後海津城主となり河東地域12000石を治めるまでとなりました。
その長男満胤<ミツタネ>は、上杉景勝の重臣直江兼続<ナオエカネツグ>の妹と婚姻関係にあり、名を直江景実<ナオエカゲジツ>としています。
この蓮生寺のある場所には、元々須田氏の館があったと思われますが、武田晴信の侵攻で須田氏が越後へ逃れた際、その館跡が寺院に利用されたのではないかと考えられています。
本堂は山門の左にあり、正面に見える建物は不動堂です。正徳5年(1715)に須坂藩の鬼門にあたる東北に不動明王をお祀りするために建立されました。
鐘楼門<ショウロウモン>は明治45年(1912)に建立され、鐘は第2次大戦中に供出されたものの戦後に新しく作られました。
台座に享保14年と彫られた入り口の地蔵尊へは、子供の健康を祈願してお参りする人が多いそうです。
脇には弁財天を祀った弁天社や恵比寿天、大黒天を祀る堂があります。
江戸時代に入り、須坂藩第4代藩主堀直佑<ホリナオスケ>が、この蓮生寺を須坂藩の祈願寺と定めました。
正徳<ショウトク>元年(1711)に、江戸城内より秋葉山三尺坊<アキバサンサンジャクボウ>を勧請したことで、須坂藩内の各村に秋葉社が分祀<ブンシ>されました。
今も火防の霊場としてよく知られています。
須坂市内にいくつかある秋葉社の元は、この蓮生寺境内の不動堂横に建立されている秋葉社にあるのです。
この寺のある場所は「本郷<ホンゴウ>」とよばれる地区です。
本郷地区はその昔、須坂地域の中心町でした。
そして、この蓮正寺へ続く参道が須坂のメイン通りだったのです。
そのようなことを考えても、この蓮生寺が須坂の歴史と縁があることもうなずけるのです。