長野県須坂市八幡に「八幡墨坂神社」があります。
八幡墨坂神社は「延喜式内社<エンギシキナイシャ>」とされています。
延喜式は平安時代中期に作られた法令集のことで、その一部に「神社一覧表」があり、そこには当時の朝廷より重要視されていた全国の神社名が書かれているのです。
神社一覧表には2861社の神社名が記され、その中にある神社が
「延喜式内社」
と呼ばれるのです。
須坂市の中では3つの式内社が書かれています。
記入されている式内社の中でも、小坂神社のみ社名、社地ともに延喜式と一致していますが、芝宮とこの八幡神社もあいまいな点がまだあるようで、完全確定とはされていないそうです。
昔、須坂市屋部に鍛冶師がいたそうです。
墨坂の語源は「炭」と「坂」。
鍛冶屋は「炭」を使い、炭が墨となり
「墨坂」
となったと考えられています。
そこから墨坂神社とは、
「墨坂という土地にあった神社」というのが正しいようです。
1994年に書かれた「墨坂神社遷祀と背景<小林繁著>」によると、
墨坂神社は物部氏の氏神(祖先)を祀った神社で、
神社境内にある「祖霊社」に祀られている「坂戸大祖」とは物部氏の側近「坂戸造」であるようです。
と、いうことは宮司の山岸家は物部氏の側近の子孫ということになりますね。
一説には「墨坂神社は屋部住民の氏神を祀っている」という言い伝えもあります。
はるか昔に高井郡を作ったとされる物部氏の一族は、もしかしたら、屋部地域にいたのかもしれませんね。
この八幡墨坂神社は江戸時代に須坂藩主堀家が代々崇敬社としてきた神社でもあるのです。