須坂市立博物館内

須坂藩邸の遺跡

江戸時代に須坂地域を治めていた「堀家須坂藩」は出来高1万53石という城無大名でした。

城は持っていませんでしたが、館を現在の奥田神社を中心とした土地に構えていたのです。
須坂藩、館内部の明細については、色々な資料が残っているのですが、その多くが館が無くなった後に記憶を元にして書かれたものなので、どれが本当の詳細なのかはわかりずらいのだそうです。

明治4年に公布された「廃藩置県<ハイハンチケン>」により藩体制が終わりを告げ、各地に県が置かれました。
須坂は須坂藩より須坂県となり、旧藩主だった「堀直明<ホリナオアキ>」は東京は、柳島亀井戸天神橋の旧須坂藩屋敷への在住が命じられたのです。



それによって二百数十年間に渡り須坂の中心的存在であった須坂藩の館は無住の廃墟となったのです。


その後須坂藩の館跡には、時代の変化にに伴い、色々な建物が建てられます。

1、須坂陣営(旧館)跡地払い下げ
2、奥田神社、招魂社建立
3、須坂町役場新築、再築
4、小学校常盤部校舎新築
5、郡役所新築
6、須坂警察署新築
7、須坂町役場新築移転
8、自治警察署新築
9、教育会館新築

このような短期間の激しい変容が、須坂藩館の痕跡をことごとく消してしまい、今日に至るのです。

唯一残された物は、現在須坂市立博物館に展示されている
「詰所切妻部分」
といわれています。

古い図面を見ると詰所は現在の奥田神社あたりにありました。
建物の大きさは縦6間(約11m)横15間(約27m)だったそうです。
当時は政治を行う場所として、また藩士の待機所として使われていたのだそうです。

須坂藩館跡が全く残されていないことから、旧藩館跡地に入ると、
いったいここにはどんな建物が建ち、
藩主はどんな生活を送っていたのか、など

想像が更に膨らんでしまうのです。




須坂藩邸の遺跡

住所:須坂市立博物館内
名前:須坂藩邸の遺跡
取材日:2006/10/10
更新日:2020/10/08

参考文献

平成18年すざか町並み楽習塾資料<生涯学習推進センター>
その他参考資料

掲載している探検隊スペシャル