大正4年に須坂の製糸王「越寿三郎」などによって高井倉庫の名で作られました。
昭和になり、山丸組、六十三銀行、埴生銀行が共同出資して規模を拡大。
昭和倉庫に改称されたのだそうです。
当時の使用目的は、「繭の乾燥」「繭の貯蔵」です。
大きな倉庫を持つことで、年中製糸場を稼動させることが可能になるともに、銀行からの融資を受ける際に担保として使えるようになるのです。
予断ですが、須坂の製糸業が盛んだった当時に建てられた銀行が蔵作りである理由の一つに、繭が融資の担保として使われていたために、銀行は繭の保存に適した建物でなければならなかったという理由があるのです。
3階たての倉庫が10棟も並ぶ昭和倉庫。
現在は温度調節ができる倉庫に改良されていますが、外観には鉄枠の扉が今も残り、通気孔には「高井」の文字を見ることができます。
3階まで扉が設置してある理由は、中のスペースに階段を設けることが無駄であったためです。
ハシゴを使って3階まで運ぶ方が沢山の繭を保管できますものね。