T字型の町屋敷

撞木型ともいわれる

長野県須坂市は明治時代から昭和初期まで製糸業が盛んな町でした。
須坂の中でも「中町の辻」を中心として大笹、谷、草津街道が通る現在の中町の通り沿いには製糸家の屋敷や商店が並んでいました。


通り沿いの屋敷の多くは「平入り」と呼ばれる通りに対して平行な作りをしています。(通りに対して直角に建つ家を「妻入り」と呼びます。)

「平入り」の屋敷は入り口や窓の格子、屋根瓦の綺麗な並びなど細かい飾りや心意気を感じることができるのですが、屋敷が並んでしまうと、家紋が入り、上から威圧感たっぷりに見下ろしている「鬼瓦」が見えません。
大きく、細かいところまで贅沢に作った屋敷ほど凝った「鬼瓦」をかざしています。
町並みを見ていて「鬼瓦」が通りから見えないのも寂しく思います。

そんなことで僕は写真のような「T字型」の屋敷が好きです。

通り沿いには「平入り」に館(店舗)が建ち、その建物に重なるように「妻入り」に母屋が建ちます。母屋の破風が三角形に突き出していて堂々とした鬼瓦を見ることができ、「平入り」と「妻入り」の良さを両方感じることができる作りなのです。

写真の家は明治時代の製糸家で「富士屋」の屋号を持つ持田家でした。最近まで横に蔵が建ち、母屋の部分が見えませんでしたが蔵が取り壊され現在は母屋も見えます。
母屋の奥には製糸工場跡もあり、裏川用水を利用し水車をを動力にした明治初期から中期位の工場なのです。

店舗では女工さんや町の女衆相手に小物を売っていたそうです。
僕が子供のころは(記憶では)釣具屋さんでした。

現在もこのような「T字型」の作りをした屋敷を市内で数箇所見ることができます。現代では考えられない作りの家もあり面白いですよ。




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