高梨神社

高梨町にある「高梨神社<タカナシジンジャ>」は
・一の宮大明神
・健御名方命<タテミナカタノミコト>
・八坂刀売命<ヤサカトメノミコト> 
を祀る神社として、井上城主「井上満実」の三男、高梨七郎盛光によって建立されたと伝えられています。


源平合戦の頃(1100年代)の史料内に大々的に登場し、当時活躍した「高井清和源氏武士団」の多くは須坂市周辺の出身で、特に現須坂市の日野・高梨地域から発生したとされています。

今も地域名として残る「村山(村山氏)」「高梨(高梨氏)」がその名残なのです。


昭和52年に境内に建てられた記念碑によると

須坂高梨に城を構えた高梨一族は、信濃・越後の各地に領土を広げ、武名を大いに轟かせた。
現在、千葉県野田市に住む、「高梨兵左衛門氏」は「高梨七郎盛光」の子で「高梨小太郎忠光」の末裔であることから、
先祖より代々この高梨神社に対して厚く敬神の心をもってこられた。
明治23年に行われた本殿の造営計画には、高梨家より進んで本殿の寄進の申し出があり全社殿が立派に造営された

と記載されています。
高梨家の末裔の方が野田市にいらっしゃるのですね。
しかも遠方にも関わらず、代々高梨神社を崇めてこられたとはすごいことです。

そんな方々の気持ちにこたえる為にも、地元高梨町でも厚く崇めていきたいものだとかんじました。


高梨神社祭日 4月28日春祭・10月7日秋祭
境内には、秋葉社と昔、高梨神社西側に祀られていた飯綱社が移動されて境内社として祀られています。







高梨神社


名前:高梨神社
取材日:2006/11/13
更新日:2020/11/10

参考文献

ふるさと須坂<須坂市教育委員会>
須坂市文化財 神社寺院<須坂市の文化財調査会>
日本の神様がわかる本<戸部民夫著>

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