「須坂市民の皆様。私と須坂市民の方々はいわば親戚なのですよ!!」
この言葉は昭和48年11月4日に須坂市奥田神社を訪れた、当時の内閣総理大臣田中角栄氏が須坂市での演説で述べた一文です。
何故、新潟県出身の田中角栄氏が「私は須坂市民が親戚なのです。」などと言ったのでしょうか?
それには2つの訳が伝わっています。
1つは、田中角栄氏の出身地である新潟県刈羽郡を江戸時代に治めていたのは椎名堀氏であり、椎名堀氏と須坂堀氏が親せきだったため。
2つ目は、田中角栄氏が東京で住んでいて「目白御殿」といわれた邸宅が江戸時代の須坂藩主である「堀家」の江戸邸宅だったため。
さすが演説上手の田中角栄氏、うまい事言います。
それで奥田神社に参拝に来られたのですね。
きっと須坂市民にも好印象間違いなしだったはず・・・。
奥田神社の参道入り口にある立派な碑は田中角栄氏による書を彫ったものなのです。
きちんと判まで彫り込んであります。
奥田神社拝殿内にも昭和48年の参拝を記念した植樹に使用されたスコップが保存されているのですよ。
田中角栄氏が突然須坂市奥田神社を訪問した話は、須坂市でも有名な話でしたので、僕も知っていました。
しかし、どうして奥田神社を訪問したのかは初めて知りました。
演説上手で有名だった角栄氏の生演説を、僕も一度聞いてみたかったものです。