長野県須坂市立町には、かつて広い敷地を持った天満宮がありました。
明治39年の神社統廃合によって、近くの墨坂神社芝宮に移転され、その場所には民家が建てられましたが、平成15年の区画整理によって、その場所には消防団の機材置き場が置かれ、その前に立て札が立てられました。
その立て札には次のように書かれています。
「立町天満宮の跡地」
今より三百年前(延宝年間)須坂四代藩主堀直佑<ホリナオスケ>公は大宰府より天満宮を勧請、この地に神殿を建立し「立町の天神さん」として信仰を高めました。
寛政二年(1790)と弘化三年(1846)には御開像が催され近隣の参詣客で大変な賑わいであり、良寛や一茶なども参詣しました。
また、明治三十五年五月には菅公一千年祝が執行され本殿、拝殿等が修理され欅<ケヤキ>や松の大木に覆われた神域は一段と壮厳<ソウイツ>を加えました。
なお、境内の敷地は間口約十間、奥行約二十間ありました。然るに明治三十九年(1906)の神社統廃合の政令により、建物一切が芝宮境内に移転され、ここに往時の由緒ある立町の史跡として留める次第です。
平成十三年十二月吉日
立町区
天満宮は、知能の神様である菅原道真<スガワラノミチザネ>をお祀りしたお宮です。
須坂市内では、この外に福島地区の「天神社」が有名です。
文章内にでてくる「良寛」とは、江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人、漢詩人、書家と多彩な才能で後世に名を残した人物です。
また、「一茶」とは小林一茶のことでしょう。
かつて天満宮が置かれたであろう場所に、今でも松の大木が植えられています。
この松の大木は、その頃のもので無いとしても、もしかしたらその子孫なのかもしれませんね。