立町~本上町

寺町通り

寺町通りとは、その名の通りお寺が並ぶ通りです。

江戸幕府成立によって須坂は、尾張国中島郡よりきた堀家によって「須坂藩」として治められました。(初代藩主堀直重)

須坂藩は1万2千石の最小大名だったために、城はもたず、現在の奥田神社周辺に館を構えていたのです。
館の四方には大きな寺社を置き、町を固めていました。


須坂藩館より西南に置かれたのは「勝善寺」を中心とする寺町です。
広い敷地の「勝善寺」と道を挟んで「勝教寺」「蓮休寺」「円照寺」「宝広寺」「真勝寺」が並んで置かれました。
第2次世界大戦後まで、瓦や石を積んだ厚い土塀がめぐっていたというから、戦の時には陣を設けることを想定して城下町が作られたことがわかります。


一昔前の正月ともなると、寺院が多く集まったこの寺町通りは初詣の人で列ができていたそうです。
現在は、勝善寺、蓮休寺、宝広寺が残り、まだまだ雰囲気のある通りとなっています。




寺町通り

住所:立町~本上町
名前:寺町通り
取材日:2010/05/27
更新日:2021/09/10

参考文献

ふるさと須坂<須坂市教育委員会>
寺町大門通り周辺の縁起<寺町大門通りまちづくり推進協議会>

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