春木町

芝宮神社の手水舎

須坂市春木町の芝宮には立派な手水舎<チョウズヤ>があります。


この「手水舎」は安政6年(1859)に3代目の亀原和太四郎によって建てられたのだそうです。


「亀原和太四郎」とは
江戸時代中期から後期にかけて高井地方で活躍した宮大工棟梁の名で、「亀原和太四郎」の名は父(1代嘉重)、孫(2代武平太)、曾孫(3代嘉博)の三代に渡る棟梁名なのです。
初代、3代は有名で、立派な建築物や彫刻を現代に残していますが、2代は有名ではありません。
高井地方の多くの社寺建築が、この「亀原和太四郎」によって作られたのですよ。
「亀原和太四郎」の名を世間に広めたのは、芝宮の手水舎を作った三代目嘉博<ヨシヒロ>で、特に腕の良い宮大工だったようです。
代表作に須坂市の隣の町「小布施町」の上町の祭り屋台があります。

そういえば高甫地域の「邑守神社」の立派な鳥居もこの亀原和太四郎棟梁(一代目嘉重<ヨシシゲ>)の作でした。




そもそも手水舎とは、参拝に先立ち身を清める場所です。
柄杓<ヒシャク>で水をすくい、左手、右手の順で洗い、口をすすぎます。

昔日本は左側通行だったので、手水舎は参道の左側にあるのが普通らしいです。
武士の刀は左挿しですれ違いに鞘<サヤ>同士がぶつかるのは「鞘当て」といって喧嘩の元だったようですし、神事の作法は全て右回りなことも左側通行の名残のようですよ。
子供の頃に教わった「まわれ~右!」もそうなのかな?

しかし芝宮の手水舎は右側にあります。
調べてみると基本的には左にあるらしいですが、その辺りはそれぞれの神社の水事情で変更があったそうですよ。

芝宮の手水舎は建物も立派ですが、そこに彫られた彫刻もかなりのものです。手の込んだ彫刻は一見の価値ありですよ。
また、給水場の石積みが立派ですね。これは北信地方で見られる「ぼたもち石積み」という石積みです。
大きな石の自然な表面を活かした工法なのです。

「身を清め、心を洗う」ことが目的の手水舎。
年に一度は作法に習い参拝したいものですね。

芝宮神社の手水舎

住所:春木町
名前:芝宮神社の手水舎
取材日:2005/12/28
更新日:2020/05/15

参考文献

よっとくらい 蔵の町<信州須坂町並みの会>

掲載している探検隊スペシャル