小河原の長者屋敷

現在の長野県須坂市小河原地区。
かつてこの地を治めていたのは「小河原氏」でありました。

小河原氏が文献にて初登場を果たすのは、元暦元年<ゲンリャクガンネン>(1184)こことです。
源平合戦の後に源頼朝が鎌倉幕府を開きます。その時に作られた歴史書「吾妻鏡<アヅマカガミ>」にて次のように記されています。

二十五日辛亥、故井上太郎光盛の侍の保科太郎、小河原雲藤三郎等が降人として(源頼朝のもとに)参上した。(頼朝は彼らをゆるし)御家人と為すべきの由を仰せ下された。

この記事から、鎌倉時代の初めに小河原氏がいたことがわかる。
また、記事に出てくる「井上」「保科」は小河原と同じく、今も土地名として残り、それらが隣あっている土地は、長野県須高地区にしかない。
ということで、かつて小河原氏は須坂の小河原地区にいたことがわかるのです。


小河原氏の館がどこにあったのか。
昔から小河原には「長者屋敷」と呼ばれてきた土地がありました。
小河原で長者屋敷といえば、誰もがわかる場所なのです。

その場所にかつて小河原氏の館があったのか。
今となっては、肯定する証拠も否定する証拠ありません。

ただし、辺りに大乗寺という源氏に近い木曽義仲が創建した寺や、源氏の氏神「諏訪神」を祀る小河原神社も近いことからも、有力な場所であるといえるのです。


現在、その場所には立派なお墓が建っています。
これは土屋氏の墓なのですが、昭和35年(1960)にこの東隣の土屋家から2748枚もの古銭が出土しました。
この古銭は、1433年に作られた「宣徳通宝」が一番新しいことから、この時代の前後に埋められたものと推測がつきます。
このことが小河原氏と直接結びつかないにしろ、この地にこれだけの財を貯めておける有力な一族がいたことは伺うことができるのです。

そして、その時代この小河原地区の領主は小河原氏であり、これらの古銭を埋めたのは小河原氏であると考えられるのです。



長者屋敷は誰の屋敷なのか。
現時点で、僕が思うにはやはり小河原氏の屋敷なのでしょうね。
その方がロマンも広がり面白いのです。

小河原の長者屋敷


名前:小河原の長者屋敷
取材日:2008/09/15
更新日:2021/08/05

参考文献

小河原郷誌 <須坂市小河原郷中発行>
平成20年須坂学舎資料

掲載している探検隊スペシャル