「須坂温泉」の敷地内に「山ノ神神社」があります。
その昔、この「山ノ神神社」には二間と三間の社殿があったそうです。
「間<ケン>」というのは、神社の拝殿、神殿の規模を表す単位で、建物の正面の柱から柱までを1間とします。
柱が2本ならば「1間」
柱が3本ならば「2間」なのです。
この単位は現在の「1間=1.8m」とは違い、あくまで柱の本数の問題のようで、大まかな神社の大きさを示した単位なのです。
大まかなので1間が3mだったり4mだったりしてしまうのですよ。
この「山ノ神神社」には二間と三間の社殿があったということは、きっと二間の拝殿と三間の神殿があったものと推測されます。現在とは違い、結構大きな神社だったようですね。
明治時代の神社統合によって同じ日滝地区の健御名方神社<タテミナカタジンジャ>に合併したそうです。もともと「山ノ神」とは「健御名方神」のことですから合併しても何の問題もないのです。
その後、跡地に「養蚕神社」が祀られたのそうですが、須坂市の養蚕の衰退とともに昭和35年に再び山ノ神神社と変わったのだそうです。神様もあっちへこっちへ大変ですね。
先に書いたように健御名方神は「山ノ神」でもあり「武神」でもあります。
同じ日滝地区で同じ神様(山ノ神神社と健御名方神社)が祀られているとは何か変ですね。
昔、日滝地域を治めていた「須田氏」の城は現在の須坂温泉の辺りにあったそうです。
昔、須坂市の井上地区の統治者だった「井上氏」の館の傍に「小坂神社」があります。
それと同じように「須田氏」も自分の城の傍に武神でもあるこの「山ノ神神社」を祀ったのでしょうね。
昔の土地の統治者は城や屋敷の敷地内に氏神を祀ることが多かったそうです。
過去のその土地の統治者の城や屋敷がどこにあったのかを探る上で神社はよい目印になっていることがあるのですよ。