須坂市横町の公会堂の入り口脇に「観世音菩薩」「子育て地蔵尊」と並び「庚申塔<コウシントウ>」が建てられています。
庚申塔には色々な種類があるようですが、この庚申塔には庚申の本尊とされる「青面金剛像<ショウメンコンゴウ>」が彫られています。
古代中国より伝わる「干支<カンシ>」は「十干十二支」とも呼ばれるように「十干<ジュッカン>」と「十二支<ジュウニシ>」を組み合わせて、「年、月、週、日」の暦を決める方法です。
「十干」は
「甲<コウ>・乙<オツ>・丙<ヘイ>・丁<テイ>・戊<ボ>・己<キ>・庚<コウ>・辛<シン>・壬<ジン>・癸<キ>」とあり
皆さんが普段接しているように「十二支」には
「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」
があります。
十干の「10」と十二支の「12」の最小公倍数は60なので、「干支」では60で一周するのです。
満60歳を意味する「還暦<カンレキ>」とは、60歳で生まれた年の干支に帰る事から、「暦が還った」という意味でつけられた言葉なのですよ。
庚申塔の庚申は十干の庚と十二支の申が組み合わされた暦です。
「庚申の日」の夜には
人間の悪さを神様に報告し、寿命を縮める「三尸<サンシ>の虫」が出る
とされ、それを恐れた人々は庚申日には夜も寝ないで仲間で集まり酒盛りや話をする「庚申講」という行事を行い、それを防いだのです。
そして庚申講を3年(18回)続けた記念に、集まった仲間で「庚申塔」を建立したのです。
江戸時代初期より広く行われてきた庚申塔建立ですが、明治時代
になるとそれらは「迷信」とされ、その多くが撤去されたのだそうです。
今でも道端で見かける「庚申塔」の本来の意味を知ることも先人の考えを思い返す上で大切なことなのかもしれませんね。