須坂市米子町一円の崇拝をうける氏神社である「米子神社」の祭神は「建御名方富之命<タテミナカタトミノミコト>」です。
氏神社<ウジカミシャ>のように特定の一族をお守りするというよりも、米子地域に住む人々全体をお守りする「産土神<ウブスナカミ>」に近い存在のように思います。
米子町には農家が多いので「農耕の神」である「建御名方富之命」(建御名方神)なのでしょうね。
米子神社の建立年の詳細はわかりませんが、境内の神木から大体250~300年前だと推測されています。
戦中、米子村からの出征、入営兵士は必ずこの米子神社に寄り、参拝して戦勝と武運長久を祈願し戦場へ向かったのだそうです。
祭日に飾られる「大幟」は
長野市妻科出身で江戸時代に須坂にあった「立成館」の教授を経て、須坂藩主堀直明を補佐し、その後も明治時代の学校教育に功績を残した「北村方義<キタムラホウギ>」
によって書かれたものです。
その迫力のある字を祭日の飾られた時には是非見てみたいと思います。
米子神社は周りに民家が少なく静かな土地にあります。
神殿の屋根の上に飾られた鬼瓦が鬼そのもので珍しいですよ。
しかも屋根の左右で違った顔をしているのです。
社の周りには林があり、何とも神秘的なのが印象的でした。