長野県須坂市上町にある「寿泉院<ジュセンイン>」は、過去に火災に遭ったため、長い年月廃絶していた時期があります。
そのため、寺の由来等については口碑<コウヒ>によって伝承されたのです。
それらの言い伝えによると、
寿泉院は桓武天皇延暦年間(782-805)に、弘法大師(空海)によって創建されました。当時の寺は遠州(静岡県西部)にあり、真言宗の顕實寺<ケンシツジ>といったそうです。
その後、廃絶したようですが、明徳年間(1390-1393)に梅山聞本禅師<バイザイモンポンゼンジ>が祖となって曹洞宗の寺として中興されたが、その後にも火災に遭ってしまい、長年廃絶してしまった。
と伝わっています。
時が過ぎ、江戸時代になると、
正保3年(1646)須坂藩3代藩主「堀直輝<ホリナオテル>」が、興国寺9世桂巌嫩察和尚を正式な1世として迎え、再び中興されました。
寿泉院の奥にある墓地には「堀直輝公」の墓があります。
寿泉院が、昔は真言宗の寺院であった証拠として、仏像が伝えられています。
その仏像は「楊柳観音<ヨウリュウカンノン>」といわれる仏像で、
楊柳観音は中国で生まれた仏様とされていて、右手に楊柳(柳の枝)を持ち、左手を乳の上に当てる姿をしています。
「病難の消除」の仏とされ、民間に広く信仰されているのです。
そのほかにも、寿泉院には安政5年(1858)に高井鴻山<タカイコウザン>によって描かれた鳳凰図<ホウオウズ>があります。
有名な須坂の隣、小布施町の岩松院<ガンショウイン>にある北斎作「鳳凰図」と良く似ているのです。以前は観音堂の天井に飾られていましたが、今は同寺によって保管されています。
☆信州小布施 岩松院
http://park19.wakwak.com/~gansho-in/
須坂藩主を勤めた堀家は、江戸時代に尾張の国からこの須坂にやってきました。
この寿泉院の元である「顕實寺」は遠州にて創建された寺。
遠州<エンシュウ>とは遠江<トオトウミ>の国の略で、尾張に隣接した国です。
もしかしたら、堀家は顕實寺と何か関係があったのかもしれません。
火災や度重なる廃絶による「口碑のみでの伝承」が悔やまれてしまいます。