須坂の製糸業を支えた人々

長野県須坂市は明治時代より製糸業によって発展しました。

そして豪華な土蔵づくりや大壁造りの町屋が軒を連ねる町並み、歴史の証を感じることのできる小路が須坂市の風景となり現在「信州須坂 蔵の町」として須坂市は観光事業に力を入れています。
しかしそこで忘れてはいけない人々がいます。

それは製糸工場で働いていた女性労働者です。

製糸工場で働いていた女性労働者のことを「女工さん」や「工女さん」と呼んでいたそうです。

現在の須坂市街地である旧須坂町には60もの製糸工場があって、全盛期には6000人以上の工女さんたちが働いていたようです。
そして製糸家の路地裏には長屋が多く、そこで製糸業に携わる工女さんや職人たちが生活をしていたのです。

養蚕農家が春繭をとりあげた7月中頃から秋繭を使い切る12月初めまでの約140日が繰糸期間で、その間休みは7日~10日に1日、1日11時間の労働で工女さん達は働いていたそうです。
製糸業が器械化になり、規模が大きくなると、中には12歳頃の低年齢の工女もいたそうですよ。

資本家は工女さん達を競い合わせ、等級を定めて賞罰をつけ、糸繰賃と合わせて賃金を算出したそうです。こうすることで品質の良い生糸を作ろうとしたのですね。

映画「ああ野麦峠」以来、工女さんの生活の辛いことが強調されました。しかし製糸工場の優等工女さんは、良縁に恵まれると言われ、当時の女性の憧れの職業だったそうです。
また、須坂の商店構成を考えてみると、菓子屋、呉服屋、雑貨屋などさまざまで、工女さんの小さな楽しみが町にあふれていたようです。

そうした工女さんを大切にしてきた商店によって現在の町並みが作られたといっても言い過ぎではないはずですよね。

信州須坂 蔵の町の町並みは
  「工女さんに支えられ、作られた町」
なのです。

須坂の製糸業を支えた人々


名前:須坂の製糸業を支えた人々
取材日:2005/08/24
更新日:2020/03/30

参考文献

須坂の製糸業<須坂市教育委員会>

信州須坂の町並み<青木廣安著、丸山武彦絵須坂新聞社>

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