須坂市本上町の「清泉亭」の庭には大きな春日灯篭が置かれています。
この灯篭は、須坂市の偉人「越寿三郎」と縁の深い品であることはなかなか知られていません。
越寿三郎は、長野県須坂市が製糸業で栄えていた頃に、製糸王と呼ばれた偉大な人物。
「越寿三郎」が22歳だった明治18年に製糸結社「俊明社」の創業と共に入社。
明治20年には自ら「山丸製糸所」を創業し「山丸組」を創立しました。
その後、俊明社の取締役社長になったり上高井銀行(現八十二銀行)を創立したりと、ここでは書ききれない程の偉業を成し遂げるのですが、その偉業の1つに明治36年に製糸工場の合理化を目的とした「信濃電気株式会社」を創立があげられます。
信濃電気㈱は、後に買収、合併をして、現在の中部電力の元である「中部配電」へと変わっていく会社なのです。
そんな偉人でもある越寿三郎の趣味は沢山あったそうですが、特に芸術としての畫<エ>と書、自然の樹木を生かした庭園に力をいれていました。
長野市吉田にあった信越電気㈱本社の庭園は、広い池と自然の樹が多い庭園で、池のほとりには茶室や金毘羅神社<コンピラジンジャ>までもがあったのだそうです。
その庭園にはそれは立派な岡崎産御影石の灯籠<トウロウ>が3基あり、そのうちの1基が、この清泉亭の庭にある春日灯篭なのです。
清泉亭は明治中期に江戸で板前修業をした、笠原善平が構えた店です。
昭和33年の旧信濃電気㈱吉田営業所の柳町への移転に伴い庭園が撤去が決まりました。
その際、施設や備品が一般販売されました。
それを知った清泉亭の先代店主、笠原三郎氏が実兄に頼み春日灯籠<カスガトウロウ>を購入したのです。
他の灯籠の内の1基は「中部電力㈱健康保険組合浅間荘」に設置されているようです。
須坂市が世界に名を知られるきっかけとなった人物の一人である「越寿三郎」が愛着をもった春日灯籠。
このようなものが1つでも須坂市に残されて良かったと思います。
大きさが2m以上もある灯籠は珍しいのでは。
是非見学してみてください。
料亭清泉亭の閉店に伴い、2010年にこの春日灯篭は撤去されました。
(2010.06.01改訂)