長野県須坂市は江戸時代末期から昭和初期まで製糸業が隆盛した町でした。
多い時には大小の製糸工場が47箇所にもなり、製糸業に関わった人は6千人以上になったほどです。
須坂で製糸業が栄えた理由として、
・須坂には谷街道、草津街道が合流する辻(中町の辻)があり、関東に繋がる大笹街道が通っていることで近隣都市からの物資が集まり易かった。
・須坂は昔から米粉や菜種油などの加工業が多く、各個人商店の裏に水車を設けてあり、その水車を利用しての器械製糸に転換しやすかった。
ということがあげられます。
須坂の町ではそれぞれの家屋の裏に用水が流れています。
それは「裏川用水」と呼ばれ、その用水に水車をかけることで産業が発達したのです。
先にも述べたとおり、この裏川用水こそが須坂の製糸業発展の原動力になったのです。
写真は須坂市立町にある「住吉屋穀店」の裏口です。
現在も屋敷内に裏川用水が通った後を見ることができる数少ない屋敷です。
立てかけた材木により見えにくいですが、蔵の下に用水が通っているのがわかりますか?
これが「裏川用水」なのです。
昔は水量が多く、蔵の中で水車を回し穀商を営んでいたのでしょうね。
この場所は「住吉屋穀店」の裏口にあたるのですが、裏口にもかかわらず立派な門構えです。
昔の図面では、この場所に通りがとおっていたのです。
住吉屋穀店の表口は格子戸をふんだんに使い、瓦屋根に漆喰の壁と立派な屋敷なのです。