旧須坂商業銀行(旧日滝銀行)です。
明治30年に日滝村に「日滝銀行」として創業し、明治33年、この場所に「須坂商業銀行」に改称し移転しました。
大きな鬼瓦がそびえ、2階建ての蔵には観音開きの重厚な土扉があります。
厚い土壁や強靭な窓枠などは防火のため、また粋を凝らした作りは建設当時の繁栄を表しています。
まさに大切な物を保管しておく本格的な「土蔵」ですね。
当時の銀行が大切なものとして保管してきたものは「繭<マユ>」です。
須坂の製糸家達は銀行から融資を受けるための担保として繭を預けました。
銀行としては担保である繭を劣化させたり傷めてはならないので蔵を隣接させて作ったのでした。
よく見ると土蔵の「塗り込め」と呼ばれる屋根と壁の間の傾斜の部分が黒くなっているのがわかります。
現在は壁が補修され「塗り込め」しかわかりませんが、昔は土蔵全体が黒くなっていたようです。
これは汚れではなく、太平洋戦争中に白い壁は目立つのでわざとススを塗ったのだそうです。
須坂商業銀行は以前紹介した信陽銀行同様に、須坂製糸の発展期を支えた製糸銀行の1つです。
明治時代から昭和初期にかけて、「製糸銀行」と呼ばれるくらいに製糸業と繋がりが強かった須坂の銀行。
それが製糸と生死を共にした運命の証なのです。
今も鬼瓦に彫られた日滝銀行の「日」の文字が、製糸業全盛だった頃を誇らしく飾られています。