須坂の町並み

久兵衛堰

豊洲

駒繋ぎ石

小山

泉小路

須坂

上町小路

須坂

寺町通り

須坂

ぼた餅石積み

ぼた石積みとは、北信濃地域に多く見られる建物の基礎部分の石積みのことをいいます。自然石ならではの表面の丸みを活かし、蟻の通る隙間も無いくらいに削り、積み上げていきます。

郷蔵

仁礼

須坂教会

須坂

墨坂神社芝宮参道

須坂

この灯籠には十二支の彫刻がしてあり、お宮側より酉<トリ>から始まり未<ヒツジ>まであります。
酉の灯籠は昭和8年に建てられたもので、順に戌<イヌ>が昭和9年、亥<イ>が昭和10年・・・と続きますが、昭和18年に

仁礼宿

仁礼

蔵づくり

広域

そもそも蔵づくりとは・・・。

色々な資料をみると「大壁作り」や「蔵作り」、「土蔵作り」などを見かけますが、一番の違いは火災に対する強さの違いのようです。

ふれあいの館しらふじ

須坂

この建物は江戸時代に須坂藩の要職を務めた浦野家が須坂藩邸の西隅を固めるように建てた建物で、明治初期に新築された3階建ての土蔵と大壁造りの長屋門が残っています。
以前は門の右側に3階建ての物見櫓があり、氷水屋が営まれた時代もあったそうですが、昭和40年に壊し改築されたそうです。

福島宿の馬頭観音騎乗像

須坂市福島町は北国脇街道の主要宿駅、大笹街道の起点として栄えました。

福島町の北入口の堤防横に「馬頭観世音」があります。
昔の資料で見ると「馬頭観音騎乗像」となっていますが、どちらが正しいのかはわかりません。

裏川用水

広域

須坂で製糸業が栄えた理由として、
・須坂には谷街道、草津街道が合流する辻(中町の辻)があり、関東に繋がる大笹街道が通っていることで近隣都市からの物資が集まり易かった。
・須坂は昔から米粉や菜種油などの加工業が多く、各個人商店の裏に水車を設けてあり、その水車を利用しての器械製糸に転換しやすかった。

八幡屋金物店

須坂

八幡屋金物店が幅広い商品の取り扱いをし、物流が発達していなかった時代に沢山の商品を持っていたことがわかります。

土蔵は手前から「味噌蔵」「薪蔵」「鋳物蔵」「鉄蔵」と続き「文庫蔵」

三善牧家

須坂

三善牧家は牧新七家の分家で、現在の建物は牧茂助が明治期に建てました。建物の配置は本家(クラシック美術館)に似ています

須坂町道路元標

須坂

横町通り(銀座通り)から「中町の辻」を左折して小布施へ向かった「谷街道」(写真右下から左下)と高山方面より新町通りを抜け「中町の辻」に着く

旧日滝銀行(須坂商業銀行)

須坂

明治30年に日滝村に「日滝銀行」として創業し、明治33年、この場所に「須坂商業銀行」に改称し移転しました。

病院新道

須坂

信州医療センターと勝善寺を結ぶ「病院新道」、現在の本上町は「三区」と呼ばれた花街でした。

青木小路

小山

蝶の民俗館

須坂

永年にわたって、蝶と人間とのかかわりあいについて調べてきた今井彰さんによって開館された博物館

笠鉾会館ドリームホール

須坂

毎年7月21日~7月25日まで開催される祇園祭<ギオンサイ>において町を練り歩く神輿<ミコシ>笠鉾<ギョウレツ>の展示施設

ふれあい館 まゆぐら

須坂

市内に点在する「繭蔵<マユクラ>」は製糸工場が大量に仕入れた「繭」を保管する倉庫のことで、通風を良く、温度変化があまりない構造に作られていることが特徴の建物

「牛の乳」の鏝絵

小山

劇場通りを登っていくと右手に写真の「鏝絵<こてえ>」を見つけることができます。

この鏝絵の名前は「牛の乳」。劇場通りを登っていくと右手に写真の「鏝絵<こてえ>」を見つけることができます。

この鏝絵の名前は「牛の乳」。

浮世小路

須坂

車が一台やっと通れるほどの狭い道ですが、そんな所にも当時の花街としての面影を現在も見ることができます。